【タイ】プラユット首相兼国防相(元タイ陸軍司令官)は20日、3月末で任期満了となる議会下院(定数500、任期4年)を解散した。5月に下院選が行われる見通しだ。
タイ国立開発行政研究院(NIDA)が2~8日にタイ全国の18歳以上を対象に実施した政党支持率調査(回答者2000人)では、最大野党でタクシン元首相派のプアタイ党が支持率49.9%で、下院選で単独過半数をうかがう。支持率2位は野党第2党でリベラル派のガウクライ党で17.2%、プラユット首相兼国防相率いる新党ルワムタイサーンチャート党は12.2%で3位。
現与党陣営はルワムタイサーンチャート党、親軍政党で与党第1党のパランプラチャーラット党、与党第3党の民主党など中核の4党を合わせた支持率が22~23%程度で、苦戦が予想される。ただ、首相指名選挙にはプラユット軍事政権(2014~2019年)が議員を選任した非民選の議会上院(定数250、任期5年)も投票するため、現与党陣営は130議席前後を獲得すれば政権を維持できる可能性がある。プアタイ党は単独で310議席を獲得し、世論を背景に、上院に対し、首相指名選挙でプラユット首相に投票しないよう、圧力をかける構えだ。
タイではポピュリズム的な政策で人気を集めたタクシン政権(2001~2006年)以来、経済発展が遅れていた東北部と北部の住民、バンコクの中低所得者層の支持を集めるタクシン派と、伝統的な支配層、南部住民とバンコクの中間層を中心とする反タクシン派の抗争が続いている。反タクシン派が重視する王室、軍、官僚機構を中心とした伝統的な階級・民族秩序に東北部・北部の住民と中低所得者層が挑戦する形で、タクシン派が選挙で勝ち続ける一方、軍や裁判所をコントロールする反タクシン派が軍事クーデターや司法判断でタクシン派政権を倒すというパターンが続いた。
2014年には、民主党が主導した大規模な反政府デモをきっかけに、タクシン派の民選政権が軍事クーデターで倒され、プラユット軍政が発足した。軍政は内外の圧力を受け、2019年に8年振りとなる下院選を実施。獲得議席数がプアタイに次ぐ2位となったパランプラチャーラット党が多数派工作で下院の過半数を抑え、加えて上院の支持を得て、プラユット首相の続投を勝ち取った。
〈タイ政局の主な動き〉
■2001年
警察官僚から実業家を経て政界入りしたタクシン氏率いる政党が、地方、低所得者層へのばらまき政策を掲げ、議会下院選で勝利。タクシン氏が首相に。
■2005年
任期満了にともなう下院選でタクシン派政党が議席の75%を得て圧勝。タクシン首相が2期目。
■2006年
タイ王室の権威に挑戦する姿勢を見せ始めたタクシン首相に特権階級、王党派の中間層らが反発し、バンコクで大規模なデモ。タクシン首相が下院を解散、総選挙に踏み切るが、反タクシン派の民主党がボイコット。憲法裁判所が選挙無効の判決。9月に軍事クーデターが発生し、タクシン政権崩壊。
■2007年
軍事政権が民主主義を制限した新憲法を制定。民政移管のため実施された下院選で2代目タクシン派政党が勝利。タクシン派政権発足。
■2008年
反タクシン派デモ隊がバンコクの首相府、スワンナプーム空港などを占拠。最高裁判所が選挙違反でタクシン派政党を解党し、政権崩壊。民主党を中心とするアピシット連立政権発足。
■2010年
バンコク都心を占拠したタクシン派デモ隊を軍が鎮圧。90人以上が死亡、約2000人が負傷。
■2011年
下院選で3代目タクシン派政党が勝利。タクシン氏の妹のインラク氏が首相に就任。
■2013年
インラク政権・与党がタクシン派と反タクシン派の政治抗争で投獄、訴追された人に包括的な恩赦を与える恩赦法案の成立を図る。10月、民主党が大規模な反政府デモを開始。12月、インラク首相が下院を解散。
■2014年
1月から反タクシン派デモ隊がバンコクの主要交差点を占拠。2月の下院選は民主党がボイコットした上、民主党系のデモ隊が投票を妨害し、3月に憲法裁が選挙無効の判決。5月7日、幹部官僚人事をめぐる職権乱用を理由に、憲法裁がインラク首相ら10閣僚を解任。5月20日、プラユット陸軍司令官が戒厳令を布告し、実権を掌握。同22日、クーデターを宣言し、インラク政権崩壊。プラユット陸軍司令官が首相に就任。
■2017年
プラユット軍事政権が民主主義を制限した新憲法を施行。インラク前首相が汚職裁判の判決前に国外に逃亡。
■2019年
下院選が行われ、タクシン派政党が第1党となるが、第2党となった親軍政党パランプラチャーラット党が複数の政党を抱き込み、首相指名選挙で勝利。第2次プラユット政権発足。