【タイ】ペートーンターン・チナワット現首相の父親であるタクシン・チナワット元首相が2001年にカンボジアと交わした、両国による領有主張が重複するタイ湾海域(OCA)とそこでの海底資源開発についての覚書(MOU)を巡り、与野党がやり合っている。タイの暦である仏暦2544年(2001年)に取り交わされたことから「MOU44」と名付けられた同覚書の問題はこれまでにも何度か蒸し返されてきたが、最近も10月30日に、「解釈によってはタイが領土を失いかねない、自ら分け与える行為」とする野党パラン・プラチャーラット党の記者会見を、翌31日にプームタム・ウェーチャヤチャイ副首相兼国防省が「タイの領土は安全」と明言する場面を、タイの各メディアがそれぞれ報じた。
タイとカンボジアのタイ湾一帯の国境は、1907年当時のシャムとフランス領インドシナの間で確定されたが、1972年になってカンボジアが現在のタイ東部トラート県のクット島半分を含む領土とタイ湾海域の領有を主張し、領海問題が起こった。タクシン政権だった2001年、両国の間でOCAと海底資源開発に関するMOUが交わされたが、アピシット政権だった2008年に両国国境地域に建つプレアビヒア寺院が世界遺産に登録され、帰属を巡って武力衝突にまで発展。関係悪化によって2009年にタイ側からの一方的なMOUの破棄となった。
その後、タクシン元首相の妹であるインラック・チナワット氏が首相に就任し、2011年に前政権で破棄したMOUを元に交渉を再開することが確認され、2022年のプラユット政権ではプラウィット・ウォンスワン副首相がカンボジアのフンセン首相と会談し、同問題を話し合ったとされる。
タイでは現在、セーター前政権とペートーンターン現政権に政治的に関与するタクシン元首相を非難する声が高まっており、今回のタイ・カンボジアの領海問題も、反タクシン運動の一環であることは明らか。タクシン元首相は2023年に海外逃亡から帰国して恩赦を受け、最近は政治の場に姿を表すようになっている。今回のMOUを巡る騒ぎで、「タクシンが戻ってくると必ず政治が荒れる」「タクシンは売国奴、愛国心で成り立つ軍政の方がまし」という声が国民から聞かれ始め、ペートーンターン政権の頭痛の種となっている。
ちなみにパラン・プラチャーラット党の党首は、2022年にカンボジアでフンセン首相と会談したプラウィット副首相。同党は今回のペートーンターン政権でそれまでの連立与党から野党に追いやられている。
MOUに関しても、インラック元首相以降の歴代の政権は、OCAの問題を棚上げにして海底資源開発の話し合いを優先したいようだが上手く行かず、もともと進展の気配はないという。